札幌高等裁判所 昭和29年(う)35号 判決 1954年4月27日
控訴人 被告人 西屋実
弁護人 塩谷栄一
検察官 鷲田勇
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月及び罰金千円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金弍百五拾円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
第一、二審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
弁護人塩谷栄一の控訴趣意は、同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりである。
右控訴趣意第一点について
所論の要旨は、控訴審が原判決を破棄し、直ちに判決することができないものと認めて事件を原審に差戻したる以上、原審は須らく更に事件につき審理を尽したる上判決をなすべきであるに拘らず、原審は事茲に出でず弁護人のなしたる証人村中俊夫、柳生敏、西屋トシエの取調べ請求を全部却下したのは、憲法第三十七条第二項に違反するというのである。しかし憲法第三十七条第二項は裁判所がその必要を認めて尋問を許した証人について規定しているのであつて、この規定を根拠として裁判所は被告人側の申請にかかる証人のすべてを取調べなければならないということはできない。しかして原裁判所が論旨にいう証人を取調べなかつたのは次段に説明するとおり、理由の存するところであるから、論旨は理由がない。
同第二点(事実の誤認)について
記録によれば、当裁判所はさきの控訴審において「原審公判廷に於ける被告人の供述、佐久間要作の盗難届謄本、原審に於ける証人柳生敏、同安藤侶次郎の各尋問調書当審に於ける証人村中俊夫、同柳生敏の各尋問調書の記載によると被告人が柳生敏に依頼し原判決判示の衣料品で村中俊夫の為金策した際右物件は村中が他から窃取してきたものであることを知つていたことは明かである」と判示し、「これを知つていたと認められないとし、被告人に対し無罪の言渡をした原判決は結局判決に影響を及ぼすことが明かな事実の誤認をなしたもの」であるとして、原判決を破棄し、事件を原裁判所に差戻す旨の判決をしたのである。かくのごとく上級審において下級審判決が破棄され、事件の差戻があつた場合には、下級審はその事件を処理するに当り、判決破棄の理由となつた上級審の事実上及び法律上の意見に拘束され(裁判所法第四条)、必ずその意見に従いこれに基ずいて事件の裁判をしなければならない。この理は既に上告審の判断については最高裁判所の判決(昭和二十五年十月二十五日大法廷判決)の存するところであるが、控訴審の判断についてもその理は異ならない。それ故本件において前記のごとき理由により事件の差戻を受けた原審は、新な反証のあらわれない限り、被告人は問題の衣料品が賍物であることを知つていたものと認定するの外はないのである。そうして原審の公判調書によると、差戻後の原審では差戻前の第一審で取調べられた証拠及び前回の控訴審で尋問された証人の調書について証拠調をなしたのみで新な証拠の取調はなかつたことが明白である。尤も、差戻後の原審で弁護人は証人村中俊夫、柳生敏、西屋トシエの取調を請求しているが右村中及び柳生は、すでに差戻前の第一審及び前回の公訴審で取調べられて居り、証人西屋トシエは前回の控訴審で弁護人から取調べの請求があつたが却下されているから、差戻後の原審がこれを取調べなかつたのは、前記のとおり上級審の意見に拘束されるものとして、適法な処置といわねばならない。
以上の次第であるから、原審が被告人に賍物たるの認識があつたものとし、賍物罪の成立を認めたのは、上級審の意見に従つてなしたものであつて、これに対して事実の誤認を云々するの余地はなく、論旨は採用するに由がない。
職権を以て調査するに、原判決は被告人が昭和二十三年四月二十七日銚子簡易裁判所において窃盗罪により懲役十月に処せられ当時右刑の執行を受け終つたものであるとして、原判示の罪の刑に累犯の加重をしている。しかるに、札幌高等検察庁の当裁判所に対する被告人に関する刑の執行状況についての回答書に添附してある豊多摩刑務所から札幌高等検察庁鷲田検事宛電信回答によると、被告人は前記のごとく、一、昭和二十三年四月二十七日銚子簡易裁判所において窃盗罪により懲役十月に処せられ(同年五月二十五日確定)、次で、二、同年五月二十五日同裁判所において同罪により懲役一年に処せられ(同日確定)先ず第二刑につき刑の執行を受け、昭和二十三年十一月十二日刑の執行順序変更により同日以降第一刑の執行を受け、昭和二十四年四月一日仮出獄を許され、右仮出獄の処分を取消されることなくして、右第一、二刑の残刑期に相当する期間を経過したことが認められる。二つの懲役刑について仮出獄を許された者の仮出獄期間の算出については、明文はないが、先ず仮出獄を許された当時執行を受けていた刑の残刑期が仮出獄のときから進行し、その刑期の満了の翌日から他の刑の残刑期が進行するものと解するのが相当である。しからば被告人に対し先ず前記仮出獄を許された当時執行を受けていた第一刑につき仮出獄期間が進行し、該刑は昭和二十四年九月十一日経過と同時にその執行を終り、次で第二刑の残刑期に相当する期間を経過するとともに、該刑の執行を終つたことになるものといわねばならぬ。しかるに、原判決の認めるところによれば、被告人の原判示の犯行は昭和二十四年九月十日頃のことであるから、右は第一刑の仮出獄中の犯罪にかかり従つて原判決が前記のごとく当時すでに第一刑の刑の執行が受け終つたものとして累犯の加重したのは、受刑の事実を誤認し、ひいて法律の適用を誤つたものであつて、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄を免れない。
よつて弁護人の量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百八十二条第三百八十条第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により更に判決することとする。
原判決の確定した罪となる事実に法令を適用すると、被告人の原判示の所為は刑法第二百五十六条第二項罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するから、所定刑期及び罰金額の範囲内で主文の刑を量定し、換刑処分につき刑法第十八条を、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長判事 熊谷直之助 判事 成智寿朗 判事 笠井寅雄)
弁護人塩谷栄一の控訴趣意
第一点憲法違反 一、本件差戻判決によれば刑訴第三九七条により原判決を破棄しなお本件は当審に於て直ちに判決することが出来るとは認められないので同法第四百条本文により事件を原裁判所に差戻すこととし主文の通り判決する。として原審に破棄差戻しをなした。而して差戻後の原審に於て証人として村中俊夫、柳生敏、西屋トシエを申請したが、却下となり差戻前の控訴審の証拠を援用して被告人を有罪と認定して懲役七月罰金千円の判決を言渡された。二、差戻前の控訴審が刑訴第四〇〇条但書で破棄自判するなら格別だが合議体の控訴審が直ちに判決が出来ないとするものを単独制の原審は新に証拠調べもなく従来の証拠によつて直ちに判決を下してゐるのである。三、之は裁判所構成法第四条に依り下級審は上級審の裁判の拘束を受けるので、既に公判開始前記録の送達と共に有罪の認定を為さねばならぬ運命となり所謂憲法第三七条にすべて刑事事件において、被告人は公平な裁判所の迅速なる公開裁判を受ける権利を有する、刑事被告人はすべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ又公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有するとの公平なる裁判の原則に反する違法がある。故に違法なる破棄差戻判決の拘束の下に審理不尽なる原判決は之の点において違法あり当然破棄さるべきものと信ずる。
第二点事実誤認 一、証人村中俊夫の警察官に対する供述調書に依れば本件衣類は被告人に対し「私は自分の家から持つて来たと言つて頼んだ西屋もそう信じた」とあり又差戻前の控訴審に於ける受命判事に対する同証人の証言に依れば「品物を縁側に置いたのですその時私は掻払つて来たとは言はなかつたし西屋も別に聞かなかつたのでした」と言う点は被告人の公判廷に於ける供述と一致してゐるのである。然るに証人は被告人宅に宿つても居ないのに宿つたと言つたり、上りもしないのに上つてから不利な話しをしたが如く言つたり、衣類を持参したのは、午前三時と言つたり又夜の九時頃と言つたり盗んだ人間が盗んだ家の佐久間の品だと言つたりその供述が矛盾し区々である。二、又受命判事に対する証人村中の証言中千葉刑務所にゐる当時運動の為外へ出た際西屋が地面に紙片を落して行つたのでそれを拾つてみたところ血で「お前がほんとうのことを言つたらお前の親父等を検察庁へ訴える自分の妻が姙娠中だお前が責任をとつてくれ」と書いてあつた云々とあり只今述べた事が真実ですと言つてゐるが証人の親父が何も悪くないものを訴える理由はなく、かかる事で嘘の供述をしたと言う事に矛盾がある計りでなく又血でかゝる長々とした文言を書くには指で切つてその血で書いたとでも言うのか知らぬが、一紙片には書けない。余程大きな紙でなければ書き尽せるものでない事は常識上考へられるし又かゝるものを運動場に落して置くなどとは、常識上考へられない事で、之の点も嘘偽の供述である。況やかゝる証言を裏付ける物的証拠がない点に於ておやである。三、又証人柳生敏の証言中被告が函館へ行く車中村中が盗んだ品だと言つてゐるけれども同席、人混みの車中でかゝる話をする謂れなく犯罪心理上うなづかれない。之は柳生が別件で賍品である米五俵を匿して売つていた事が警察に判つた時被告が警察に知らせたと邪推して怨んでゐた関係もあるので被告を捲きぞえにし様とした心理としか考へられない。以上の点から考へて見るに原判決は事実誤認あり被告人は無罪たる事を信ず。
第三点刑の量定不当 仮りに有罪と認定さるゝも、被告人は一銭の金も受けて居らず、昨年被告人はトラツクにひかれて右脚を切断せられ登別国立病院に永らく入院し義足不自由の身となり現在家庭には父伊助六十八才毋タツ七十才妻トシエ三十九才子供忠美十八才敬子十三才陽子九才孝美七才富子四才春美二才の十人暮しで被告人の働きで一家を支へてゐるのだが、昭和二十三年四月銚子簡易裁判所で窃盗罪で体刑処分の前科はあるけれども爾来五年以上真面目に働き目下穂別石油沢の北海道炭砿汽船の機械運転手として真剣に働いてゐる次第で情状酌量の上執行猶予の恩典に浴せしめられ度。